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    加茂社と天文
    梅雨の中休みなのか、
    雨はこの2~3日降ってませんが
    相変わらずスッキリしない曇り空で
    昼も夜も星が見えずストレスが溜まってしまいそうです。

    こんな星の見えない休みの日には
    本を読んだり講演会に出かけて
    新しい天文の知識を仕入れてみてはどうでしょうか。


    今日は、
    『NPO法人花山星空ネットワーク』さんが主催する
    天文講演会に行ってきました。
    内容は
    ・「加茂社と天文」(久保田諄 大阪経済大学名誉教授)
    ・「彗星探査の最前線:ハレー彗星からハートレイ第2彗星まで」(河北秀世 大阪産業大学教授)
    と言う2つのお話です。

    どちらも大変興味深い、面白い講義をしていただいたのですが
    その中から「加茂社と天文」と言うお話を
    メモを見ながら少しだけ紹介させていただきます。


    講師をされた久保田諄教授は大阪経済大学名誉教授という
    大変立派な肩書きをお持ちの方なんですが
    実はこの方、京都市北区にある
    上賀茂神社
    の社家を代々受け継がれている
    神主の家系(梅辻家)でもあるのです!

    上賀茂神社と言えば国内でも「上七社」と呼ばれる
    伊勢神宮・石清水八幡宮・加茂・松尾大社・平野神社・伏見稲荷大社・春日大社
    のひとつ。
    その千数百年以上の長い歴史を持つ神社の神主様の話を直接聞けるんだから
    とっても貴重で面白い!!

    まずは賀茂神社の成り立ちから
    現在に至るまでの歴史を振り返ります。


    4世紀頃に古代氏族のひとつである加茂族
    現在の北区上賀茂あたりに定住していたとされています。
    古代はその加茂族の氏神を祀っていた神山(こうざん)の頂上すぐ下にあった石磐(いわくら)で
    祭祀を行っていたのですが、
    奈良時代になると現在の場所に拝殿(加茂社)が造営されました。

    大和政権が京都(平安京)へ遷都して以来、
    都の氏神を祀る「加茂社」は、
    また皇祖神を祀る神社として伊勢神宮に次ぐ社格となり
    「上七社」の筆頭として皇室の祈願の場所として
    地方神から「国家神」として祀られる様になります。

    皇室や貴族から「荘園」を寄進され
    栄華を誇った加茂社なのですが、
    安土桃山時代に入り豊臣秀吉によって行われた
    「太閤検地」(1582年頃)によって全ての荘園が没収、
    さらに明治維新の国家神道化による廃仏毀釈により神社まで没収!!
    貧窮を極める事となります。

    戦後になって無事現在の状態にまで回復するのですが
    さて、
    この「加茂社」「天文」がどうして結びつくのでしょうか?


    明治維新以前には、
    天皇の大切な仕事にひとつに
    「天に祈りを捧げる」
    と言うものがありました。
    その祈りを捧げる場所が「神社」であったわけですが、
    祈りの内容は大きく分けると二つ
    ・国民を安心させるための祈り
    ・天からのメッセージを受け取るための祈り

    と分けることが出来ます。

    国民を安心させるための祈りとは、
    降雨(雨乞い)や止雨、八百万の神に感謝を捧げるための祈り等ですが、
    天からのメッセージを受け取ると言うのが正に
    天体観測を行い天文現象を天からのメッセージとして受け取ると言う事なのです。

    ここで言う天文現象とは主に
    日食、月食、二星合・三星合(惑星同士の接近)、
    客星(新星・超新星)、大きい流星、彗星、オーロラ等
    の事になりますが、
    (これらを当時は「天変地異」と見ていた)
    宮中に陰陽寮(おんにょうりょう)と呼ばれる天文博士を集めた部署を置き、
    自然現象の異常に日夜注意を払い続け、記録し続けていました。

    天変地異を発見するとその当時あった古い記録文書照らし合わせ
    過去にも同じ現象がなかったかを照合し、
    それが凶事の前兆であるならば陰陽頭(おんにょうがしら)が上司へ報告(天文蜜奏
    上司らは協議して「軒廊の御占」(こんろうのおうら)と呼ばれる占いをし、
    その占いの結果が凶と出た場合には「上七社」と「大寺院」に連絡し、
    悪霊退散の祈願をするよう命令を下していたという事らしいです。

    これら天体観測された記録は
    加茂社から徳川幕府に提出されたレポート
    「加茂注進雑記」に事細かに書かれており、
    その内容は現在の天文学によって整合が確認されているという事です。


    現在上賀茂神社に収蔵されている古文書は3万点以上と全国最大!
    6年前にやっと整理が出来たのですが、
    天文の歴史を知るための宝の山が未だに手付かずのままになっている現状です!!
    はやく内容の解読して公表してほしいものですね。



    ちなみに
    「陰陽」は“おんみょう”では無く“おんにょう”という読みが正しいそうです。

    また、
    当時の人達にとって日食・月食はそれほど恐ろしい現象だったわけではなく
    むしろ時刻(太陰暦)の正確さを確認するための手段となっていたそうです。

    同じく彗星の出現も
    恐れていたのは宮中の人達だけで
    一般庶民にとってはその姿が稲が穂を垂れる姿に似ている事から
    「穂垂れ星」と呼ばれて吉兆の知らせとして喜ばれていたそうです。

    また、
    古文書から京都でオーロラが観測された記録も見付かっているそうです。
    (オーロラが旗を立てた大群がやってきたように見えたらしいです)
    相当大きな太陽フレアが発生したものと思われますが、
    今の時代にこれほど大きな太陽フレアが発生したら
    電気機器の故障や大停電が発生してパニックになるでしょうね。


    面白いお話が聞けてとても楽しかったです。
    星の見えない休日には
    ぜひ皆さんもお近くで開催される講演会に
    足を運んでみてくださいね。



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    その他 | 23:53:08 | トラックバック(0) | コメント(1)
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